息子の夏休みも残りあと10日ほどになった。
小学一年生になってから、45日間の初めての夏休みだ。東北生まれの私は世間と比べて夏休みが短く、だいたい8月24日か25日あたりが始業式だったが、近畿地方の始業式は9月1日である。昔、りぼんやなかよし等の少女漫画で「学校が始まる9月までに〜」といったセリフを見かけるたび羨ましかったものだ。
そのため、息子の8月は丸々休みである。私のパートもあるため週三回は放課後等デイサービスを利用しているが、基本的にはのんびりと過ごしている。何とも羨ましい反面、子を持つ親となってからは小学生の夏休みというものは呑気に過ごしてもいられない。
その理由は言うまでもない。「夏休みの宿題」があるからである。
息子の宿題は主に
・サマー16(夏休みの友のようなもの)
・ドリル
・絵日記2枚
・自由研究、図画、習字、読書感想文のいずれかひとつ
・本を10冊読む
これに加えて、毎日の習慣として
・音読
・計算カード
・朝顔の観察
・一行日記
がある。
自分の時代を思えば決して多い宿題ではないのだが、「毎日の習慣としてやる」と言うものが多い。しかも息子は残念なことにこういった宿題を自ら率先してやってくれるタイプではない。そのため、親が計画と立ててやらせなければならない。
とりあえず、後からまとめてやることが困難な「毎日の習慣」は欠かさずやらせることにし、それが終わらないとタブレットやYouTubeを見れない、と言う約束にした。大好きなタブレットが出来ないのは息子自身も堪えるだろうと思ったのだが、それでもなかなかとっかかりが遅い。「大好きなタブレットをする」よりも「宿題の面倒くささ」が勝るようである。自分の子供時代もそうだったので気持ちは良くわかるのだが…。
それでも何とかかんとか習慣づけつつ、7月のうちにはワークやドリル系を「1日2ページ」と決めて取り組み、これは8月の初めには全て終えることができた。だがしかし、そうなると今度は大人も悩ましい宿題が待っている。
まず、自由研究、図画、習字、読書感想文のいずれかだ。息子はまだひらがなを書くのもおぼつかないし、文章などまだ書けないので、選ぶのは自動的に図画になる。図画はいくつか開催されるコンクールから一つを選び、そのテーマに合わせて描く、と言うものだった。
気温の高い中、どこかに出掛けて絵を描くのはしんどかったので、近所にある公園で私鉄の電車と一緒に写っている姿を写真に撮り、それを絵にすることにした。ちょうど、「大好きな私の町」と言うテーマのコンクールがあったからだ。
時刻表を調べて電車の来る時間に公園に行き、タイミングを見計らって写真を撮った。そしてそれを家でプリントアウトし、絵に起こすことにした。テーブルを出し、絵の具を揃え、下描きのお手本を見せ、息子が描きやすいように環境を整えた。
……だが、ここまでしても息子はやる気を出さない。ちょっと描いただけでもう「むずかしい」と言って投げ出してしまう。ここまでお膳立てしてるのに?!と心底思ったが、ここは怒らずグッと堪える。
そして空とか地面とか面積の大きい場所は私が絵の具で塗ってあげ、電車の色は写真に近づけるように作ってあげた。画用紙が色で埋まっていくと、ようやく息子もやる気が出たようで、仕上げの作業などは喜んでやっていた。
出来上がった絵を見てとりあえず私は一安心。夏休みの一番大きな宿題を無事に終えられてホッとした…と同時に、自分の子供時代がどうだったかを思い出していた。
私も勉強や宿題は嫌いだった。そして自発的に自分で計画を立てて事を進められるような優秀なタイプでもなかった。というか能力的には同世代よりもだいぶ劣っていただろう。
絵日記などは親も手伝ってくれていたが、それでも出来なかったものや未提出のものが多かったと思う。学業の成績や評価も重要だが、それ以上に「夏休みの宿題を終えることができなかった自分」という事実が心の中に棘のように刺さっており、そのまま成長してしまった自覚がある。そういった事実は自分の自信のなさや劣等感、自己弁護から来る過剰な自尊心に繋がっている気がするのだ。
私は息子に「宿題をして優秀な成績を収めてほしい」とか思っている訳ではない。ただ、私のようになって欲しくないのだ。夏休みの宿題というものは、当然ながら無茶苦茶なスケジュールで出されている訳ではない。むしろ計画的に進めれば余裕で終わるようにできている。ただ、その「余裕で終わるようにできている」ものを期限通りに終えることの出来なかった時に感じる自分へのガッカリ感は、後から埋められるものではない。私は、息子にそう言ったガッカリ感をできるだけ味わって欲しくないのだ。
例え殆ど親に手伝ってもらったような図画でもいい。期限通りに提出してほしいのだ。
自分好みの絵が仕上がる嬉しさ
最近、たまに絵を描いている。
こういった書き出しだと、風景画とか静物画だとか、あとは可愛らしいイラストだとか、絵手紙調の挿絵だとか、そういったものを連想するのだろうが、私の場合は残念ながら全く違う。
だいぶ濁して言うと、まああまり人には見られたくないし見せられない絵である。モチーフ的にも、クオリティ的にもだ。絵はドローイングアプリの「アイビスペイント」を使っているのだが、出来上がった絵は誰にも見せないし、ネットの匿名SNSにも上げていない。完全に自分が描いてて楽しいだけの自己満足の絵である。
ちなみに、絵の技術にはいまだに少しの自信がある。
私はいわゆる「クラスで一番絵が上手い女子」だった。この肩書きも中学、高校を経て美大を目指すようなガチ美術部の方々の前では霞んでなくなってしまったものではあるが、それでも絵を描くのはいまだに何となく好きだ。
しかし、人物デッサンなどのきちんとした技術を身につけているわけでもないし、そういった努力を怠ったまま今に至っているので、ただ感覚で人物を描くとデッサンが狂いまくっている。あと、男性の骨格がよくわかっていないのでただのゴツゴツした人っぽもの、と言うありさまの出来になる。
最初は別にそれでも良かったのだ。誰に見せるわけでもないし。しかし、何度か描いているうちにやはり物足りなくなってきた。もう少しちゃんとした自然な人体と筋肉を立体的に描きたいと思うようになった。
そこで導入したのが「イージーポーザー」というアプリだ。これは3Dの人体モデルの関節を好きなように曲げて、自分の描きたいポーズを取らせることができる、と言うもので、無料版でもモデルには若い男女、そして「スーパーヒーロー」と言う筋肉質な男女のモデルが使える。好きなポーズが出来上がったら画像を保存して、上からトレスなどをすればいい。
これを使うようになってから、絵のクオリティは格段に向上した。男性はきちんとした筋肉質の男に見えるし、骨格が不自然になることも無くなった。
しかし、絵というものはとても奥が深い。特に「自分が描きたいと思う絵」を具現化するには、さまざまなTipsとテクニックがある。
動きのある絵に見せたい場合や、人体に衝撃を受けた時の表現は、「やりすぎ」でも「やらなさすぎ」でもどこか不自然になる。その適度な見極めが難しい。
擬音ひとつ取ってもそうだ。叩く衝撃を表す場合、「バシッ」と書くか「ばしっ」と書くかで受ける印象は違うし、それを叩かれた場所の近くで書くのか、離れた背景の方で大きく書くのかでは画面から受ける印象はまた違う。
これは私の好みの話になるが、私はどうやら「衝撃を受けた時の線の描写は過剰めに、擬音は衝撃が起こった場所の近くであまり大きくなく、だが何回も書く」という表現がお気に入りらしく、このように仕上げるとしっくりくる。
仕上がった絵を時系列ごとに見ていくと、自分の技術や表現の幅がどんどん広がっていっているのも楽しい。そして次はどんなものを描こうか、とイージーポーザーを今日もコネコネしているのである。
姪っ子ツインズ
先週末は車で遠出をし、ついでに姪っ子たちに会ってきた。
姪っ子は双子で、夫の妹さん…つまり義妹さんのお子さん達だ。そんなわけで私と直接血の繋がりがあるわけではないが、そんなことは些細などうでもいいことだ。姪っ子達はめちゃくちゃに可愛い。
二人は超早産で産まれており、出生時の体重は800グラムほどしかなかった。写真で見た時には大人の手のひらにも余るほどのあまりにも小さすぎる命にハラハラしたものだ。何てったって私の息子の出生時の4分の1である。二人足してもまだ半分。生まれた知らせを聞いた時は、どうかどうかこの子達が健やかにすくすくと育ちますように…と願ってやまなかった。
あれから三年。現代医療の発達もあり、姪っ子達は本当にすくすくと大きくなった。長女の方は肺機能が未熟と言うことでしばらくは酸素チューブをつけていたが、今ではそれも外れている。
二人ともやんちゃな悪戯っ子で、とてもよく笑うし人懐っこい。外国の血が入っているのもあってか(義妹さんは国際結婚だ)髪が栗色で色白なのも可愛い。長女の方は息子によく懐き、おぼつかない口調で名前を呼んでは追いかけ回していた。息子も息子で、小さい子への面倒見がいい訳ではないが、変にお兄さんぶったり場を仕切ろうとするような性格でもないため、双子達とほぼ同レベルのような感じで楽しく過ごしていた。
長女の方には手足に麻痺がありまだ上手く立てないようだが、その代わり高速のハイハイで移動しているので全身の筋肉がついているようだ。本人も立ったり動いたりするのは好きなようなので、そのうち元気に歩けることだろう。
何より私自身がとてもとても元気をもらえた。どうか姪っ子達がこのまま元気に育ってくれますように。
ちなみに、帰宅してからのこと。
息子が「けっこんしき、したい〜」「けっこんしきって、何年生になったらするの?」としきりに言っている。
誰と結婚するの?と尋ねると、「おとうさんと、ぼくと、まま」と言う答え。三人で結婚するの?と続けて聞いてみると、驚きの答えが。
「だって、こどもがふえるから」
も、もしかして、「結婚式をすると家に小さい赤ちゃんがやってくる」と思ってるってことか…?!小さないとこたちに会って、自分の家にも小さい赤ちゃんが来て欲しいと思った様子。何て純粋で可愛いんだ息子よ……どうかそのままの純粋な子でいてくれ…
初めての休校
ザアアアア、という大きな音で目が覚めた。
部屋の中はまだ暗い。おそらく時間は明け方前だろう。私は夫のイビキ対策のため耳栓をつけて寝ているので、この大きな音は耳栓を通り越して聞こえているということだ。音の正体は確かめなくても分かる。雨の音だ。
二つの台風が発生した影響で、私の住んでる地域にも大雨の予報が出ていた。しかし、雨の勢いは思った以上に強い。ゴロゴロ…と雷も鳴っている…
スマホで時間を確認する。朝の4時半過ぎだ。雨雲レーダーを見ると周辺の地域は真っ赤っか。しかも雨はあと数時間続くらしい。線状降水帯のようなものもできている。
その時、外がピカッと鋭く光った。次の瞬間、ドォン!!!!!と地響きがするほどの雷が鳴った。あまりの音の大きさに、家にビィィィンと響いている。
あまりの音の大きさに夫も起きた。私もベッドに備え付けてあるライトをつけてみる。電気はつくので、停電はしていないようだ。
「雷すごいね」と私が言うと、「今日学校無理じゃない?」と夫。確かに、こんな大雨の中で登校させるのは心配だ。しかし、連絡があるにしても朝の5時前では先生も出勤していない。
とりあえず目覚ましが鳴るまで寝ておくかと思い、目を閉じた。
6時半になりアラームが鳴った。いそいそと起き出してスマホを確認する。6時半の時点でアプリを通して学校から連絡が来ており(早朝出勤だ)、7時の時点で大雨特別警報が解除されなければ本日は休校とのこと。テレビのニュースをつけると、住んでいる地域の地図が紫色に染められている。特別警報の色だ。
そもそもこの「特別警報」が出た時点で公立学校は自動的に休校になる決まりなのだが、どうやら本当に出たのは今回が初めてらしく、学校側も確認を兼ねて連絡したらしい。
7時まであと10分。雨は少し小康状態になっているが、どう考えてもあと10分で解除されるとは思えない。私はまだ寝ている息子のところへ行き、「今日は学校がお休みになったよ」と伝えた。寝ぼけた息子はよく理解していないようだが、学校に行かなくてもいいと言うことだけは分かったようだ。
7時を少しすぎたところで、ママ友からラインがきた。
「今日って休校?」
ママ友は家に地上波のアンテナをつけておらず、テレビのニュースが見れないのだ。「休校だよ」と伝えると「マジかー」とびっくりしていた。仕事を休む手筈をしなければいけないからだろう。
このママ友も工場勤務のため仕事の都合はつくようだが、私はこう言う時に改めて「もう店舗では働けないな…」と思う。災害の警報が出ていても「お客さんが来るかもしれないから」という理由で出勤しなければならない仕事は大変だ。
ちなみに夫の会社は今日が株主総会だそうなので普通に出勤していった。京都の鴨川はえらく増水しているとニュースでやっていたと言うのに…(夫は京都勤務だ)。
私はというと、今日の予定が完全に狂ってしまった。
今日はワールドカップの日本対スウェーデン戦を見たあと、図書館に本を返し、その帰りにどこかでランチをして、無印良品で化粧品を買って帰る、と言うスケジュールのつもりだったのだが、警報が出ていては何もできない。
まあいいやと開き直り、サッカーを見ながらジェルネイルをした。セルフジェルネイルに最近ハマっているのだ。息子は嬉々としてタブレットでYouTubeを見たり、ロブロックスで遊んでいる。
流石に遊んでばかりでは不安なので、国語の教科書を読ませ、あとは進研ゼミを進めさせた。日本は1対1で引き分けた。
プール大好き!
小学校でもプールの授業が始まった。
それがきっかけというわけではないが、ここのところの息子は水に潜るのがとても好きになり、それに伴ってプールの授業が待ち遠しい様子だ。
「プールいつ?」
「プール入りたい」
「プール行きたい!」
毎日そればかりである。
幼稚園入園前まではスイミングプールに通っていたのだが、その時は水に入るのが嫌で嫌で進級のワッペンをなかなかもらえなかったというのに…。
きっかけとしてやはり、水中ゴーグルを購入したことだろう。ゴーグルの付け方を練習させたところ、息子はこれをいたく気に入り、お風呂にまで持ち込むようになった。そしてひたすら湯船に潜るのである。
狭いバスタブの中で鼻を摘んでぶくぶくぶく…と潜水し、しばらく経ってからぶブハー!と顔を出す。おやおや鼻水も出てますよ…と私は息子のはなを拭ってあげたりしている。
しかし、最近は梅雨のせいもあってか雨が多く、学校のプールは中止の日が多い。「プールなかった」「3くみ(息子が在籍しているのは2組)は入ってたのに」「プール無い!何でぇ?!」と毎回がっかりしているのだが、ブール授業割り当ての日に雨が降ってしまっては仕方がない。
「雨が降るのは先生のせいでも、お母さんのせいでもないでしょ」
と言い含めると、息子は憮然としながら言い返してくる。
「じゃあだれのせい?!」
「誰のせいだと思う?」
「雲!」
「雲がくるのは誰のせい?」
「……おに!」
「鬼のせいなのか!じゃあ鬼を倒さないとね」
「剣……、弓でたおす!」
「そうだね。弓を空にバシバシ撃って、空の鬼を倒さないとね」
そんなやり取りをしていると、息子をプールに連れて行ってあげたくなるのだ。
しかし、残念ながら住んでいる地域には「市民プール」も「レジャープール」もない。近隣の市や町にはあるのだが、どこも七月からの営業で六月はまだ時期じゃない。
「プール行きたい!」
息子よ、もう少し待ってくれ。
時期になったらたくさん連れてってあげるからね。
自分の周囲を快適に変える
先日から新しい車に乗り換えた。
前の車がとうとう走行距離10万キロを超えたので、これを機に買い替えたのだ。
約9年ぶりに買い換える車は機能も刷新されまくっておりかなり快適で、座席もトランクも広くなった。そして、それに合わせて車体も二回りくらいデカくなった。
住んでいる地域は昔ながらの狭い道が多いため、運転中はかなりハラハラである。そのうち慣れて自分の手足のように運転できる日が来るのだろうか…。
ところで、私はXに趣味のアカウントを持っている。
フォローしているのはイラストや漫画考察系のアカウントで、私も好きな漫画の感想を呟いたりして日々楽しんでいる。のだが。
ここ最近、Xが妙な雰囲気なのだ。
はっきり言うと、フォローしているアカウントの多くで政権批判や現首相(高市早苗総理)への過度な批判が行われているのである。
政権批判は大いに結構だ。私も有権者として現政権を全肯定する気はさらさら無いし、「改悪だろこんなの!」と思う法律の改革案が出ているのに黙ってはいられない。
しかし一方で、政界情勢が不安定な中をどうにか綱渡りで立ち回り、日本国内が急な混乱に陥らないように尽力している姿勢は評価するべきだと思う。
つまり、「ダメなところはダメだと言うが、いいと思ったところはきちんと評価する」というのが私のスタンスで、政権を含めて人への評価はそうあるべきだと思っている。
そういう論理的な評価から来る批判であれば、私も読む気が起こる。
だが、フォローしているアカウントのポストは、残念ながら論理的とは程遠い。
「マジできしょい」
「きしょすぎる」
「最悪の判断しかしない国」
「こんな国に骨を埋めなきゃいけないなんて泣ける」
こういったポストばかりなのだ。憂国感情を訴えるにしては感情が先立ちすぎていて、正直何を考えているのかよく分からない。もっと言うなら、選挙権のある有権者、そして社会人のポストとは思えない。
あと、子を持つ母親としての個人的な立場としても、ネットで自国を口汚く貶すばかりの姿は、この国で未来を生きる子供たちに対してものすごく無責任に思える。
その中で、特に目立った政権批判をするアカウントがあり、私はその人が描くイラストや漫画の感想が大好きだった。
柔らかい質感から来る静謐な空気のような作風の人で、私はその人が大好きだった。
その人の誕生日には「おめでとうございます。あなたの作品が読める世界に生まれて幸せです」とちょっと重めのお祝いリプをするくらいには大好きだった。相互フォローしてもらって浮かれ、その人からフォローを外されたときはアカウントごと消そうかと思うほど落ち込み、その後またフォローしてもらえた時は飛び上がるほど喜んだのだ。
そんな大好きな人だったのに、今ではフォローを外したい。あっちから外してくれれば躊躇なく外せるのになぁ…と思っている。趣味のアカウントのタイムラインは趣味の楽しいことだけ見ていたいので、その人が口汚く政権を批判するポストは邪魔なのだ。
そんなわけで、だいぶ前からミュートすることにした。
ミュートもだいぶ迷った末の苦肉の設定だったが、一度してみたらものすごく快適になった。今まではXを開くたびに「またあの批判ポスト見ることになるのか…」と少し憂鬱になっていたけど、それが無くなってスッキリした。
週に一回、好きな漫画が更新される日だけ直接アカウントを覗きに行き、感想を見てくるだけになった。相変わらず批判ポストはしているようだが、タイムラインに自動的に表示されるのと、自分からある程度の覚悟を持って能動的に見るのとでは心の重みがだいぶ違う。
ちなみに、その人がリポストしている同じような非論理的な感情優先の批判ポストは軒並みブロックしている。これでさらに快適である。
そして、今後はフォローはとても慎重になろうと改めて決意した。
ちょっと気になるポストを見かけても、そのアカウントの過去ポストをざっと見て、少しでも感情優先の政治ポストがあったらフォローを止めている。
自分の快適さが一番大事である。
一人で出来るもん
木曜日。息子が通う体操教室の日だ。
体操教室は16時30分から。小学校が終わるのが14時55分で、そこから徒歩で帰宅すると、大体15時10分〜15分になっている。帰宅後におやつを食べたりひと休みをしたりちょっとタブレットで遊ぶなどして、16時15分ごろに家を出る。これが、我が家の木曜日のルーティンである。
しかし、先日は違った。
15時10分頃、息子は帰るなり玄関にランドセルと帽子を投げ出し、「じてんしゃであそんでくる〜!」と自転車にまたがって行ってしまった。どうやら近所でクラスメイトの男の子を見かけたらしい。息子がこうやって近所の子と遊ぶのはいつものことなので、はいはい行ってらっしゃい、今日は体操教室だから早く帰ってきてね、とだけ言った。家の付近で遊ぶものだと思っていたからだ。
15時半、息子は帰ってこない。16時、息子はまだ帰ってこない。ちょっと心配になって家を出て付近を探しにいった。……誰もいない。息子の姿も、近所のクラスメイトの子もいない。
周辺をウロウロと探していたら、別の家の子を見かけた。息子を見なかったか、と尋ねると、さっきまで自転車でそこらへんを走ってたよ、と教えてくれた。あとは、我が家のある宅地の外にある公園に行ったとか、学校の方まで行ったとか、さまざまな情報が錯綜する。とりあえず足を伸ばして宅地外の公園まで見に行った。途中で会ったご近所の方に聞くも、「さっきまでお友達の兄弟といたのを見たけど」という情報を提供してくれたが、流石に具体的な行き先までは知らないらしい。
そのうちに行き違いになって息子の方が先に帰ってくるかもしれないと思い、とりあえず帰宅し待つことにした。16時10分、帰ってこない。16時15分。帰ってこない。これ以上オーバーすると教室の時間に間に合わないので、体操教室の方には「急な予定の変更があった」と伝えてお休みすることにした。
この時点で私はかなり激怒しており、家の鍵を全部閉めて電気を消した。息子が帰ってきても締め出すつもりだった。しかし真っ暗な家の隅で一人イライラしている自分がなんだかとても不憫に思えて、電気をつけてソファに座りNetflixを見始めた。もう知らん。勝手に帰ってこい。
そうしている内に17時。ガチャッ、と玄関のノブを引く音がした。息子がようやく帰ってきたか、と思った次の瞬間、外側から鍵を開錠する音が聞こえた。息子は家の鍵を持っていないので開けられるはずがない。
「ただいま」帰ってきたのは夫だった。いやお前かよ!!と言いかけたけど黙っていた。息子が帰ってないことを愚痴ると、夫はなんてこと無いように「これも成長でしょ」と言うだけだ。まぁ確かに、近所の子たちはもう親の同伴なしに子供だけで遊んでいることも多いし、私にべったりだった息子が一人で友人と遊びに行けるまで成長したのはすごいと思う。しかし、体操教室をドタキャンした事実に変わりはない。
夫の自転車を借りて探しに行こうかとも思ったが、当て所なくウロウロしたところで見つかるとは限らない。しかも、友人と一緒の時に怒られるのは息子のプライドにも関わるだろう。ここはグッと堪えて、息子の帰りを待つことにした。三年生のお兄ちゃんとも一緒らしいし、18時になっても帰ってこなかったら探しに行こうと思ったのだ。
そして18時。玄関のドアが開く音がして、息子が帰ってきた。汗だくで顔は真っ赤。「のどかわいた〜」と呑気なことを宣うので、私は口調を厳しくして言った。
「どこ行ってたの」「心配したんだよ」「今は何時?体操教室はどうするの?」
息子はキョトンとして「わかんないところにいってた」「たいそうきょうしつは、いまからいく」と言いつつお茶をかぶかぶ飲んだ。教室はもう終わっている。しかし、友達について知らない所まで足を伸ばし、そのまま帰ってくれなくなったと言うことだろうか。
私はとりあえず「とても心配したこと」「近所のお友達も、息子の行き先がどこなのか考えてくれたこと」「体操教室の先生も急に休んで心配しているだろうということ」を熱心に言い含めた。息子も暗くなって喉がカラカラになるまで外で遊んでいた(時間にして3時間近く!)ことは反省したのか。しおらしく返事をしていた。
そしてこれからは、「自転車で外に行くときはエアタグをポケットに入れること」を約束した。
しかし、ペナルティは必要である。
今日一日、息子の大好きなタブレットは一切なしということにした。息子は不服そうだったが、そもそも今後は「ダブレットを見るのは宿題が終わってから」という取り決めにしたので、渋々いうことを聞いた。
ご飯の後に宿題を広げたが、息子はとにかくやる気がない。足し算の計算はまだいいのだが、字を書くのがどうにも苦手だ。宿題は「ゃ」や「ょ」の練習だったのだが、難しい、分からない、を繰り返し、私がヒントを与えて書く字とスペースを指定してもグズグズとしていた。子供の宿題に付き合うのはなかなか大変だ。私はイライラする気持ちをどうにかギリギリまで抑え、洗い物をしたりお風呂を炊いたりしながら出来上がりを待った。
「できたー!」という息子の声がようやく聞こえると、息子はそのまま走ってやってきて私に抱きついてきた。そうなってしまうと私も怒るに怒れないので、とにかく誉めた。そしてついでに進研ゼミもやらせた。こちらは息子の大好きな「おおきなかぶ」のパートだったのであまり嫌がらずにやってくれた。
算数の計算問題の舞台が遊園地で、私が「お母さん、遊園地大好きだよ」というと、息子は急に感極まったように「あちょ〜〜」と奇声?を漏らし、その後に「めっちゃだいすき〜〜」と私に抱きついてきた。息子はたまに私への愛?が溢れ出で止まらない瞬間があるらしく、その度に奇声のようなものを漏らしながら私に抱きついてくる。
私も「お母さんも大好きだよ。世界で一番大好きだよ」と伝える。こういうことが多々あるので、私は息子を強く叱れないのだ。
小学校に上がり、自分に自信を無くしてしまうこともあるだろうと思い、ここ数ヶ月はことあるごとに「お母さんの大切な〇〇くん」と伝えるようにしている。親からの無償の愛は自己肯定を高めるだろうと思ってのことだ。だが、最近は息子の方が「〇〇くんのたいせつなまま」「〇〇くんのめーちゃくちゃたいせつなまま」と言ってくれるようになった。
こっちの自己肯定感の方が高まっている。
そうして宿題を終え、お風呂に入って寝た。
息子は流石に疲れたのか、布団に入ったら秒で寝てしまった。